「自分のコントローラーは、
他人ではなくて、自分が握っているのだ」、ということを、
親が、まさに体現していたら、
子も、
「自分の人生は、
自分が自分で責任を持って、切り拓いていくものだ」、
ということを、
当たり前のように、知るのだと思った。
誰かのせいではない。
誰かが幸せにしてくれるわけでも、
誰かが楽しませてくれるわけでも、
誰かが苦しませるわけでも、
なくて、
自分が、「取りに」行っているのだということ。
自分の責任だということ。
もし、
他人の行動が、自分を腹立たせるとしたら、
その他人の行動から、自分は「自分を腹立たせる」という選択肢を、
無意識のうちに、選択している、ということ。
選択しに行っているということ。
取りに行っている、ということ。
受け取りたいように受け取って、
理解したいように理解しているということ。
人は、人にやらされて生きているのではなく、
自分が生きたくて、生きている。
やりたくて、やっている。
やりたくないことをやっているようでも、
やりたくないことをやる、ということを、「選んで」いる。
それを知ると、
自分も、人の選択に介入する気が起きなくなるし、
人に、自分の選択へむやみな介入をさせないでいることができる。
コントローラーを、奪われずにいられるようになってくる。
自分の世界を、自分で保ち続けることが、できるようになってくるんだね(^-^)。
そんな風に、感じた。