心理学で出てくる「反映的な聴き方」(=気持ちを聴く聴き方)。
これ、ずっとずっと、
できなくて分からなくて、効果の意味とかも分からなくて、
なんなんだろう、ってずっと思っていた。
「Iメッセージ」が、実は「自分のため」のもの、
というのは分かった。
それなら、「反映的な聴き方」も、
実は「自分のため」のものじゃないのかなぁ?とは
ずっと思っていたけれど、
どうしても、「相手のため」「しゃべり手のため」
のもののような印象が抜けなかった。
それが最近、なんとなく、分かり始めてきた気がする。
「反映的な聴き方」=「相手の気持ちを聴く」
っていうことは、
「相手の話の内容について、ジャッジしない」ってことなのかもしれない。
気持ちに注目しているから、
言葉尻だとか、言い回しだとか、
相手の話の内容よりも、
相手の気持ち
相手の心の底
を汲みとる。
つまり、私が、相手の善意を汲みとる。
相手の愛に注目する
ことができるようになるってこと。
これ、自分のためやな~(^-^)。
相手の話す内容の如何にかかわらず、
私は、相手の愛を受け取れるということなのかもしれない。
よく例に出てくるのが、
「私と仕事とどっちが大事なの!?」っていう質問(笑)。
これ、どっちか答えることよりも、
「私をないがしろにして寂しい」って「気持ち」を分かってもらいたい。
そっちに注目してもらいたいということ。
「この世から消えてなくなりたいんだ」と言っている人は、
消えてなくなりたいんじゃなくて、
そのくらい、「悲しい」という気持ちを伝えたいということ。
言葉尻だけに注目していたら、
「私」と「仕事」どっちかな?とか、
「消えてなくなりたいだなんてとんでもない!!」だとか、
聴かされた方は、
動揺するけれど、
気持ちに注目すると、
表面に出てきた言葉は、関係ない。
振り回されない。
それよりも、その奥の気持ちに対して応答する。
表面に出てきた言葉は、
正しいか正しくないか。
そんなものは簡単に超えることができるのかもしれないな(^-^)。
そもそも、正も誤も無い世界なのならば、
そっちに注目したって疲れるだけやな( ̄▽ ̄)。
今まで、言葉尻や言い回しに
私はとても敏感だったなぁ。
ああ言った、こう言った。
本当は、そんなのどうでもよかったのかもしれないなぁ。
そう感じられるようになったのは、
子のゲームの話を聴くようになってから。
内容は分からなくてもいい(笑)、
話しているときの気持ちを聴けばいい。
その感覚が、だんだん掴めてきた気がする。
こうなってくると、
よそでも、
人が話している言葉の表面に
いちいちひっかかったり、ジャッジしたり、
することがだんだん減ってきて、
内容にあまりとらわれることなく、
気持ちを聴けるようになってきたような気がする。
「反映的な聴き方」は、実は、
自分の聴き方を、自分でコントロールする、
自分が自分の受け取り方の主導権を握ることができる
聴き方なのかもしれないなぁ。
相手の上辺の言葉に左右されずに受け取れる。
それはやっぱり、
「自分を大切にする」作業の一過程であり、
そうすることで、
自分も、相手も、大切にできる、ということなのかもなぁ(^-^)。
ちょうどタイムリーにこんな記事も
上がってきてた^^。
気持ちを聴くってことだね^^。