岡山STEP/TEEN2巡目 第4章のアウトプットその2。
(その1はこちら。)
いつもながら、講座のその日の主題とは全く違うことの気づき(*'ω'*)。
それでええのよ。この講座には、決まりきった答や定型の解答が無い。
そこが何よりもの醍醐味。
この日のもう一つの大きな気づきは、
過去に接した人を悪く言ってしまったときの後味の悪さ(笑)。気持ちの悪さ(笑)。
昔、自分はこんなひどい経験をして、しんどかった。
という風な話をしたとき、
それは、昔の自分が未熟で、こんな解釈しかできなくて、
こんな状況を自分が作っていた、
という告白でしかないのだけれども、
それは、
自分の失敗の恥さらし
というのはまだいいとしても、
過去の経験に登場してくれた人たちを、
あたかも悪者かのような扱いにしたまま、話を終えてしまったという、
後味の悪い、何とも言えないモヤモヤ感を引き起こす。
自分の当時のしんどさを振り返って、
しゃべることで頭がいっぱいになって、
そこで話を終えてしまうんよね。
もう一歩進んで、
それらの経験があったから、今のシアワセな楽な、自分が居る。
その経験はありがたかったし、
その人たちの当時の愛、と、
それを当時は分からなかったんだなぁ。と。
その人たちが悪いのではなく、当時、私がそう受け取りたかったからそう受け取っていただけだということ。
そこまで言及してから話を終えたら、自分も気持ちが良いのだろうけれど、
いつもそこまで及ばず(笑)、
なんとも後味の悪い状態となる(笑)。
これもね、受け取り側の受け取り方がどうこうというよりも、
自分の中の気持ち悪さ。
合うか合わないかはあるけれど、
良い悪い、正しい間違っているは無い。
なのに自分が選択しなかった方は、どうしても否定的に表現してしまうなぁ。
毎回毎回、後から、あぁ気持ちが悪い~~~ってなる。
本当は、あの経験も、ありがとう~!!
なのに~~~。って。
この言葉がすぐに出て来ないのは、
まだそこまで、腑に落ちていないからなのかな。
これも、こうして何度も日記に書いているうちに、
そのうち浸透していくのかな。
とりあえず、ごめん!(≧w≦)!!
とだけ思っておこう(笑)。
あ、今気づいたけれど、
その過去に接した人に対して、
「分かってくれない人」とか「間違ったやり方の人」とかいう
看板を掲げているのかもしれんなぁ。
どういう風に受け取るか、
自分が決めることが出来るのだけれども、
当時の私は、こういう風に受け取ることにして、受け取っていた。
ただそれだけのこと。
物事をどう受け止めるか、
どういう形で自分の中に記憶させるかとどめておくか、
自分で決めることが出来る。
看板は、自分で掲げることが出来る。
誰が決めるわけでもない、自分なんだ。
同じ物事を、
・人のせいで不運だった、と受け取るか、
・私がこう解釈したくて高解釈した、と受け取るか、
もう、それも、自由なんだよね。
これも結局は、
この一個前の日記、その1と同じように、
どういう「前提」で居るかってことなのかもしれんなぁ。
そう言われてみると、
私の過去も今も未来も、
私の周りには、素晴らしい人しか配置されていないということに、気づく。
こういうことを、
何度も忘れてはまた書き、
忘れては書き、
と、何度かやっているうちに、いつの間にかに定着していくから、
また思い出したら何度も書く(^0^)笑。