人とちょこっと会話をすると、、
気づきや学びや発見って、大量にあるもんだね!o(^0^)o
話は、「相手が話したがっていることを聴く」
ものだとしたら、
相手が、自分がもう既に知っているようなことや
経験していることを、
あたかもそれを無知な人に話すかのように話してきても、
口を挟まずに聴いた方が、
しゃべり手も気持ちがいいし、
自分もなんだかソワソワしなくて、いいのかもな(≧w≦)。
あたかも、「それ、私の方が知ってる!私の方がもっとやってる( ̄▽ ̄)」ってな風に、
相手の話を遮って、しゃしゃり出ると、
相手の、せっかくノっていて、しゃべりたい気持ち、
教えたい気持ちに、水を差してしまうかもしれんもんな。
こっちがしゃしゃり出るのは、
「あなたはどう?」ってこっちに振られたとき、
でいいのかもしれんな。
子どもとの会話のときには、割とうまくいきやすい。
子どもが子ども目線で仕入れてきた情報を、
子ども目線で理解したように伝えてきたとき、
たとえそれが間違っていても、当たり前のことであっても、
「そうなんだね。そんな風に理解したんだね。そんな風に感じているんだね」
ってな風に、聴くことができる。
「母ちゃんもうそれ知っているし、やったことあるもん!o(`ω´ )o」
なんて言わないし、しないよな(笑)。
「子ども目線の見方」というものを、
「自分目線の見方」とはまた別のものであって、
必ずしも自分のものと一致させなくてはならないものでもない、
というのが分かっているからかも。
ってことは、
人との会話で、
「それ、私、もう経験して知っている」って思ったとしたら、
そっちの方が勘違いだな。
同じ事柄でも、「私」の経験と「人」の経験とは、
また別のものなのだから、
どれもが新しくて、同じものは一つとして無い。ってことだわな。
ってことは、
「もう知っているから。もう経験しているから」って思いは、
なんて驕った怠慢な( ´艸`)態度だったんだろう(笑)。
な~んか、私の日記も(笑)、
当たり前のことで、誰でも知っていそうなことを、
わざわざ、発見したよ!発見したよ!って
嬉しそうに書いているけれど(≧w≦)、
みなさん、あたたかく見守って読んでくださっているのは(*'▽')、
そんな気持ちも含めてくださっているのかもなぁ。
そんなの当たり前だし、
みんなとっくに実践しているし、
何をいまさら大騒ぎしているの!?な~んてツッコミ(笑)、
誰も入れることなく、
あたたかく見守ってくださっているのは、
私の私がインプットして、私がアウトプットした、
その形を、見てくれているから。
同じようなことを言っているようでも、全く同じものは二つとない。
みんな、それを、受け入れてくれていたということ(*'▽')。
守られていた~。
ありがとうありがとう!
うわぁ~。感謝があふれてくるヽ(´▽`)/。
だから、ますます、自分も、人に対しても
そうありたいと思ふ٩( 'ω' )و
私がここに書くのは、人に広めようだとか、
人に伝えたいだとかよりも、
むしろ、自分の中に落とし込みたい、という思いが強いから。
自分の言っていることは、数分後にはもう違うものになっているかもしれないし、
間違ったことや変なこともきっとたくさん言っている。
だけど、「今、自分はこう思っているんだ」、
っていう思いを、自分で確認する作業。
それを見て、もし、なにかを得るものがある人がいらっしゃったら、
それはラッキーと思って、公開しているのだけれども、
それと同じく、
会話で人がしゃべっているのも、
しゃべることで、その人がその人の中で何かを整理して
今の自分を確認する作業なのかもしれないな。
情報の内容、真偽のほどがどうだとかは、二の次なのかもしれない。
こういう発見が、楽しくてたまらないんだ~(≧w≦)。
こういうのが、大好きなんだぁ~。
こんな変人なんだぁ~(爆)。
そして、こんな変人ぶりを隠さずそのまま出せるようになると、
それがとっても爽快なんだぁ。ありのままの自分を出せるって感じで。
(←もはや付ける薬はないでしょ( ´艸`))。
読んでくださってありがとうございますo(^0^)o
これからも、当たり前のことを、
新発見したかのように書くから、読みたくない人は読まなくていいから(笑)、
読みたい人だけ読んでくんなまし٩( 'ω' )و