岡山STEP/TEENでの発見の余波がまだ続いている^^。
(一応リンク貼るけれど、読み飛ばしても大丈夫よ↓ 本文は別の内容だから)
人には、「役割」というものがある。
世の中にはたくさんの人が居て、
それぞれに、
得意分野、役割がある。
自分の得意分野でないことや、役割でないことを、
必死でやろうとすると、なんかうまくいかないし、
どうしても、しんどいことになるんだね。
私、ずっと前から書いているけれど(笑)、
何度も何度も書いているから、
いつも見ている人は、またかと思うかもしれないけれど(笑)、
私、何度も何度も自分に言い聞かせないと落とし込めないからまた書くけれど(笑)
やっぱり、「人にものを教える」のは、
私の役割じゃないって、確信した。
私は、自分は、あくまでも、「表現者」であって、
「教授」する役向きではないのだと。
もうこれ、完全に、手放してもいいかも、って思った。
この世の中に、
私がどうにかしてあげなければならない人って、
誰も居なかった!!
ってことに気づいたんだ。
私は、先生役、教授役、ではないんだ。
・・て、前から何度も書いているけれども、やっぱりそうだったことに気づいたんだ(笑)。
私が、助けてあげなければ!!
って、
どれだけ上から目線で、おこがましかったんだろう!!って気づいた。
・子を導こう!とか、
・悩んでいる人を、助けよう!導こう!とか、
・話を聴いてあげよう!とか、
どれだけ上から目線やったんか!!( ̄▽ ̄)
と驚愕した。
みんな、私が教えなくても、
私がどうにかしなくても、
大丈夫だった!!
色んな道があって、色んな過程を歩んでいる最中かもしれないけれど、
誰もが、方向性を見つけて、自分で決めて、
自分で歩んでいく能力を持っている。
人が、どの状態にあっても、その状態が、今の、「完璧」なんだね。
歩んでいく道を見つけるきっかけとして、
何を選ぶかも、どこから学ぶかも、その人が決めること。
そして、何を選んでも、それが、その人の今の「完璧」なんだね。
だから、私がわざわざ提供する必要は無い。
少なくとも、私が、相手を変えるよう、
わざわざ働きかける必要はないし、
私は「提供するのに向いている性格」でも無いということ。
特に私の「役割」というわけではない、ということ。
教えてあげよう、
分かってもらおう、
理解してもらおう、
=相手をコントロールしよう、
とするから、
相手を思い通りにしたくなる。
相手に分かってもらいたい、
理解してもらいたい、
思うように動いてもらいたい、
となる。
教えるのが得意で、上手で、
人を導いたり、教授役が向いている人も、世の中には居る。
たくさんいてくれる。
そういう才能を持った人に、
この役割は譲って、
私は、私の得意な部分、好きな部分、やって役に立つ部分に
没頭したらいいんだ、と思った。
私は昔っから、
何か具体的な目標を立てて、それに向かって突き進もうとすると、
うまくいかない、という傾向があった(笑)。
なんでかしらんが、狙いを定めると、悉く失敗するんだ。
でも、何の狙いも定めずに、流れに沿って、
ふわふわとやりたいことを勝手にやっていると、
なんかしらんけれど、悉くうまくいく。
自分が頑張らなくても、勝手に、色んなものが、人が、寄って来てくれるんだ。
もう、この法則は、
私に限っては、不変なものなのかもしれない。
これは、小学生の頃というか、物心ついたときからそうだった。
私と真逆で、
目標を定めた方がうまくいくし、定めないと叶わない、
という人もいる。
それはたぶん、私と性格が真逆なだけで、
それもそれで、その人は、その方法を選択したらいいんだと思う。
私は、つたなくても、
こうして、自分を「表現」すること。
表現する手段が、文章であったり、音楽であったり、ダンスであったり、
動きであったり、表情であったり、事務仕事であったり(笑)、
何でもいいんだけれども、
あぁ、私の役割は、むしろここにあるのかもしれない、
と思ったんだ。
というわけで、
相変わらず、誰のためにというわけでもなく(笑)、
自分のために、自己満足な日記を放出し続けるのであります(≧w≦)。
私がどうにかしてあげなければならない人って、
この世の中には誰も居ないと気づいたから、
安心して、
私は私を表現し続ける。
私の「表現」から、何か持って行きたい人だけ、
勝手に持って行ってもらったらええな、って思う。
要らない人は、スルーしてもらえたらええな、って思うし、
読めない人はきっと読めないだろうし、
必要の無い人には必要の無いものだと思う。だから、
必要とする人だけが、勝手に持って行ってくれればいい。
子も、そうやって、私から、持って行きたいものだけを持って行って、
自分で学びながら、人生を作っていってくれるじゃろう。きっと(^-^)。