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自己満足で勝手に楽しむ日記

楽しいことの寄せ集め。

論理は通っていなくても、いい。

夫が以前、
「子には、学校や外の世界で、世の中は理不尽であるということを学んできて(知ってきて)欲しい」
と言っていた。


世の中は、
こうすればこうなる、という、
きれいごとばかりではなく、

何やねんこれは!!!というような、理解不能なことも
たくさんあるし、

論理のまかり通っていないような、
おかしなこともたくさんある。

どうにかしようとしてもどうにもならないことも
たくさんある。

平等だと言っても、みんな同じで完全な平等なんて、永遠に叶いようがないし、

そういうものなんだけれども、
それでいいんだと。

そういうもんなんだと、理解する、ということ。

 

 

 

 

自分と違う論理で、思考回路で説明されても、
それ、論理的におかしくね???
と、納得できないこともたくさんある。


これ、論理的に納得、しなくても、いいんだよね。きっと。

する必要はない。

必ずしも、
美しい数式のように、

論理がすっと通ることばかりではない。


プログラムとかを組む時は、
論理が完璧に通っていなくてどこかに矛盾があると、
おかしな動きをしたり、
無限ループを起こしたりするから、
完璧な論理(アルゴリズム)とコードを組み立てる必要があるかもしれないけれど、

人の思考回路に完璧は無い。
他人の思考回路や物事選択の理由を、
自分の思考回路に当てはめてジャッジしようとしたら、

おかしなことになるだけ。


その人にはその人の、納得の理由・思考回路がある。
それを、自分が理解できなくても、

それでいいんだ。

無理矢理理解しようと、納得しようとしても、
相手自身さえもよく分かっていないことの方が多い。

なんでもかんでも、
論理的に説明できるものではない。

説明がつかないし、そもそも、理解できるものではない。

そう分かった上で、

相手の出した結論を、認める。


理由は、根拠は、思考過程は、理解できなくてもいい。

「理由はなんでもいいけど、
あなたは、そう、決めたんだね」。

あなたがそう決めた以上、

その理由がおかしくても理解できなくても、
認める。

それだけでいいのかもしれんね。

 

あなたの決断を認める、ということは、

あなたを認める、ということでもある気がする。

 

そこの根拠や過程や理由は、どうでもいいのかもしれない。

 

必ずしも、論理が通っていなくても、

そんなの関係ない、ってこと。

 

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