感情って、勝手に湧き起こるものだから、
本当は、
他人が、理解する必要も、
説明してもらって納得する必要も、ないのかもしれないね。
自分の感情も、
人の感情も、
何故、悲しいの?
何故、恥ずかしいの?
何故、腹ただしいの?
何故、嫌なの?
人に問われて、答えて、
互いに理解できると思えることもあるけれど、
互いに、あるある!と思えるときもあるけれど、
理解できない。
なんでそう思うのか、感じるのか、
その立場になくて、理解できない。
想像もつかない。
そんな時もある。
そもそも、違う存在なのだから、
それで当然なのだけれども、
理解できないと、
納得できなくて、
受け入れることができないのだったら、
自分の理解できる範囲でしか、
世界を認めることができなくなるね。
理由なんて、最初から、要らなかったのかもしれないね。
「これが嫌なんだ。」
「ああ、あなたは、これが、嫌なんだね。」
それだけで、良いんだなあ。
どうにか、理解して、相手と一心同体になろうと、しなくても、いいんだね。
どちらかに、一致させなければならない、共感しなければならないってことは、ないんだね。
感情は、湧くままに、
感じてあげればいい。
こんな感情、湧かせたくない!と、蓋をするのではなく、
ああ、こう、感じているんだね、と、
自分の感情も、人の感情も、見てあげるだけで、良いんだね。