起こった物事を、
「罰」だと解釈するかも、
「ご褒美」だと解釈するかも、
自分で決めることが出来る。
どっちでも、自分が決めることができる。
「何この罰ゲーム!」と思えば、なんでもかんでも
いくらでも罰ゲームになり得るし、
「何この面白いご褒美ゲーム」と思えば、
いくらでも面白いご褒美ゲームになり得る。
結局、心理学と言うものは、どれも、
「どんな状況であっても今の状況を楽しめるマインド」
を身に着けるためのもののような気がしてきた。
「今」を楽しむマインドを身に着ける、ということは、
「常に」、楽しめる、ということ。
将来の楽しみを追ってばかりだと、
「将来」には、また先の「将来」があり、
また辿り着いた「将来」にはまた先の「将来」があって、
永遠に、その「楽しい将来」っていうのは、訪れない。
だから、「今」を、「楽しめる能力」を身に付けよう、
ということなのかもしれないね。
将来に、「楽しめる自分」っていうのは来ないから、
「どの瞬間でも」楽しめる自分になるということ。
何が起こっても、それを、
「楽しい出来事」に変換できる能力を身に着けること。
「楽しい出来事」に変換する、意志を持つということ。
自分から、選びに行く、ということ。