今週、実はちょっとした嵐がありまして(≧w≦)。
大丈夫ヽ(´▽`)/って思いながらも、
内心、どこか冷や冷やしていたところもあって。
数年ぶりに大き目だったので、
もしや、今回こそは本当に万事休すなのか!?と一瞬思ったり。
でもやっぱり、大丈夫!!って一生懸命信じていたら、
やっぱり大丈夫だったヽ(´▽`)/。
ちょっと予想していた通り、
雨降って地固まって。
今、以前より、さらに、自信と、愛が深まった気がしている。
そして、冷や冷やした分、たくさんの学びもありました。
あの~。
屈服しちゃって大丈夫ですよ!
ってこと(≧w≦)!!!
私、姫だし(笑)、
もう、ドアマットにも、王様と奴隷の奴隷にも、
絶対に、絶対に、成らないぞ!
人の顔色、窺わないぞ!!って決めたんだもん!!!
って、すんごく決意していたんだけれども。
「顔色を窺う」のと「相手を大切にする」のは違った。
自分に自信がなくて、
疲れていて、
くじかれているとき、
人の要求通りに動くということは、
奴隷のようで、
顔色を窺っているようで、
惨めな気持ちになるけれど、
自分に自信があって、
別にどうってことないときって、
人の要求に、
そのまま自動的に応えることって、
別に、なんでもない、
些細なことだったんだ!!!って。
自分に自信があったら、
「いいよ~ヽ(´▽`)/」って、すぐに叶えてあげられるってこと。
これは、全然屈服なんかじゃなかった。
そこは究極を言えば演技でもなんでもええんや。
「相手がそれを欲している」「求めている」っていうことが重要で、
中身なんてどうでもよくて、
「それをその通りに叶えてあげる。」
「何の疑いもなく、叶えてあげようと思う」
ということ。
そっちの方が大切なのかも。と。
「叶えてあげられるのは、世界で自分一人だけ」
なんだと思ったら、
何も意地悪して叶えないで突っ張っている必要なんて、
どこにもなかったヽ(´▽`)/。
4年前、初めて受けた講座のテキストを読んだとき、
自分は「王様と奴隷の奴隷になっている!!」って反省した(笑)。
奴隷にする相手を憎んだし、
奴隷になってなるもんか!と思った。
奴隷に成らない方法を、必死で学ぼうとした。
違った!
奴隷に成らないようにする、という行為が、
奴隷を作っていたのだということに、
今気づいた!
問題にしなければ、問題が存在しないのと同じで、
奴隷を意識しなければ、奴隷って存在しないのかも。
奴隷、ドアマット、成ってもいいわ~。
そんな次元に行ったら、
奴隷やドアマットになんて、成っていないんだね。
あれもこれも全部、
「有る」って思えること、「満たされている」「大丈夫」って、
自分が思うこと。
ここが、すべての原点だと思った。
私、絶対大丈夫だって、信じていた。(今だから言える(笑))。
だって、どの行為もどの攻撃も、
愛にしか、見えなかったんだもん。
私が私を絶対に裏切らない!!
って決めた。
だから、絶対に大丈夫。
誰も私を貶めることなどできないし、
誰も私を奴隷にすることもできない。
だから、
私は貶められる心配がないし、
奴隷に成らされる心配がない。
だから、人の言うとおりにしちゃっても、
全然大丈夫だよヽ(´▽`)/って気づいた。
んもう!またテキストを書き換えたくなったわ!!(笑)。
「王様も奴隷も、本当は居ません。
あなたが、あなたの中で作り上げているだけです。
抵抗しなくても、
あなたは、素晴らしい存在だから、
王様にも奴隷にも成りません。」
・・・って、テキストを、私が曲解していただけやな~。
テキストは、「信頼・尊敬でいましょう。王様にも奴隷にも成らない
関係を作りましょう」みたいに書いてあるだけなのにな^^。
自分を信頼尊敬していたら、
誰に何を言われても、
びくつかないから、
何をしても奴隷になんかならないんだね。
だからそのためには、やっぱり、
自分が自分を信頼尊敬できる。
自分が自分を満足する。
自分が自分を満たす。
これが大前提なのかもね。
あぁ。テキストにはこれが書いていないな。
これを書き足したいな^^。一番最初に(笑)。
って、そうなのは私だけなのやもしれんな~。
人の数だけテキストの数もあるのかもね。