前からそうだけれども、
私が岡山STEPで学んでくることは、
机の上でのディスカッションよりも、
そこでの仲間との触れ合いからの方が多い。
テキストの内容や、その日の主題とは、
全く関係の無いところから学んでくる。
昨日私が感じたこと。
心屋さんでよく言う「ゲスい」人になるということについて(笑)。
もうね、見えてしまうのはしょうがない。
そこに居る人たちの心情、状態、顔色、
見てしまう、探ってしまう、考えてしまうのはしょうがないよね。
場の状況、一人一人の立場、心情。
4人いたら4人分、
勝手に推し量っては、一人でソワソワしていたけれど(笑)、
後で聞いてみると、
場の状況を見てソワソワしていたのは私だけだったのかもしれない(≧w≦)。
そこで夢中になって話している人は、
気にしていないんだ。周りの状況を。
心配していないんだ。きっと。
ヤキモキしていたのは、私の独り相撲だったのかもしれない。
心屋さんの集まりで、
心屋さんの周りにいる人たちが、
人の迷惑顧みず、大騒ぎのはしゃぎまくりのして、
人から白い目で見られて・・
ameblo.jpっていう話を昔見たけれど、
そう。
心理学を学んで、自由になっていくということは、
「迷惑をかけられて」怒る側から、「迷惑をかける側」になるということでもあるのかも。
つまり、ゲスくなるということ。
「迷惑をかける」こと「迷惑をかけられる」ことに対して、
それを「迷惑」だと思わないということ。
それは助け合いであって、協力し合いであって、
迷惑とか迷惑じゃないとか、
そんなのそもそも問題とならないということ。
最初から、「迷惑って何???」っていう次元にいるような感じかなぁ。
人に迷惑をかけていると思わないのと同時に、
人から迷惑をかけられても迷惑だと最初から思いもしない。
深い信頼の中に居る。
そういうことなのかもなぁと思った。
とはいえ、実は、
場の空気や雰囲気や状況を、
見てしまうというのも、悪くは無いのかも。
と思った。
見えるものを、見えないようにってできないし、
その「見ている」というものも、当たっているかどうかわからないものだけれども(笑)、
・周りを見ることなく夢中になっている人も居て、
・周りを見ている人も居て、
それで成り立つし、それでいいんだと思った。
私の不必要だったかもしれないヤキモキも、
あ、ヤキモキがある、って気づいて、
それをそのまま出すか、
引っ込めるかは、自分で選べばいいもの。
ヤキモキの内容、たいてい外れているかもしれないけれど(≧w≦)、
それを無かったことにして打ち消すことは、
できないもの。
そのくらいの気づかい、あってもいいのかも、
と思った。
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STEPの集まりに行くと、
人は、本当にみんなバラバラで、違っていて、
見ているもの、感じ方、
全く違う、ということを実感する。
そして、どれが正しいというものでもない。
昔は、より、リーダーに近い形。
より、師匠に近い形が理想だと思って疑わなかったけれど、
そんなこともない、と、
テキストや机上から離れた体験をすればするほど
思う。
私は、私でいい。
他の何者にもなろうとしなくていいし、
他の何者にも成れない。
私は私にしかなれないし、
私の得意分野は私が私の形で操作する以外、
誰もどうすることもできない。
そんなことを、実体験で学んだのでした(^-^)。