昨日の記事。
「遠足は、おうちに帰るまでが遠足ですよ」ってよく言うけれど、
「STEPは、終わった後、家に帰った後もSTEPです」って思う(*'▽')。
受講しているその場に居るときよりも、
いつも、帰りの道中、もしくは帰った翌日、その後一週間くらいの間、
じわじわと来る。発見がたくさんある。脳が動く。
「エビングハウスの忘却曲線」っていう、有名な話があるけれど、
学んだことを定着させるには、学んでから、なるべく早い時間に復習をするのが
一番効果的とかいう。
学んだこと、経験したこと、感じたことを、無かったことにしたくないので、
私は学びから帰ってくると、
とにかくどんな形でもいいから、学んだこと、感じたことを、
アウトプットする。
すると、その「アウトプットを、
ありのまま、受け入れてもらえる!!」
これが、私にとって、とても大きいのだということに気づいた。
何を、どこで、どんな風に学んでもいい。
そのことを実感する瞬間なんだ。
私のアウトプットは、いつも、
その日の主題、学びのテーマとは全く関連性のないものである。
もし、講座の主催者が、「今日は○○を理解して欲しい」だとか、
「テーマ○○を分かってもらいたい」という意図を持っていたとしたら、
私は主催者の意図に沿わず、
全く関係の無いところから、
主催者の全く予測もしないことを、勝手に学んで、勝手に解釈し、
勝手に納得している。
たぶん、そのときの自分が一番持って来たいものを、
勝手に自分が持って来ているんだろうな。
従来の学校で習ったような学習では、
そんなこと、あり得ないこと。
講師の伝えたいこと、主題を、
なるべく正確に読み取り、自分の中に定着させる。自分の頭の中にコピーする。
講師の「分かって欲しい」ポイントと違う部分を、
違う風に理解することは、あってはならないし、たしなめられることだと思っていた。
それが、ここの学びでは、
それが全く問題とならないということ。
何を、どこで、どんな風に学んでも、
それは、その段階のその人に必要な学びだとして、
受け入れられる、ということ。
解釈に、間違えも、正解も、
そもそも、無いという扱いをしてもらえること。
その安心感。
昨日のようなレポを正直に書く私こそがゲスかったということを(笑)、
薄々感じながら、
(てか、ほんまにゲスの達人は、自分がゲスいということに気がつかんか^^。
いやいや、世の中ゲスくて当たり前で、
ゲスくないと思っている人こそ実は一番ゲスいということを、
ほんまのゲスの達人は知っとるか、もしくは、そんなの考えることもない次元におるか。
てか、「ゲスい」って、心理学界では最高の褒め言葉(≧w≦)。)
自然と、
安心できて、
ますます自由になり、
ますます人を信頼し、
ますます気にしない(笑)、
自分になっていっている様子を、楽しむのです。
まだ、私は、体験している最中で、自分に落とし込んで理解をする前の移行段階だけれども、
こうして、
いつ、どこから、何を、どんな風に学んでも良い。
という体験を重ねるうちに、
人に対しても、
いつ、どこから、何を、どんな風に学んでも良い。
と思えるようになるだろうな、という気がしている。
子に対しても、
人に対しても。