量子論引き寄せ講座第11回目の配信(メールは10通目)。
この講座も残り僅か。あっという間だったなぁ~。
これ終わったら、アウトプットするものが無くなってしまうのが
寂しいなぁ~。
毎週の習慣になってるもんなぁ。
次は何をアウトプットしようかな~(^^)。
まだ量子物理学、ちょっとしかやっていないし、
まだまだ学び続けてみたいなぁ~。
今回の前半は、「宇宙を考えると自分に繋がり」、
「自分を考えると宇宙に繋がる」
ってな感じのお話。
「宇宙」が出てきたよ。
後半は、原子とか電子とか原子核とかの研究の歴史みたいな話。
こちらは、次回に続くみたいだから、
全体像が分かった次回に気が向いたらまた書こうと思う。
今感じたのは、
昔の人が、長い年月かけて試行錯誤して研究してきたものって、
時代とともに、みごとに覆されているものばっかりなんやな~。・
ってこと。
時代とともに、研究が発達するのだから、
当たり前と言えば当たり前なのかもしれんが、
原子が、電子が、原子核がどんな形でどう動いてどうなっているか、
色んな人か、ああでもないこうでもないって、
ずっと研究してきた。
「これぞ真実だ!!!発見したぞ!」って見つけて、
その時には、みんなが大絶賛しても、
必ずと言っていいほど、「それ違ったで(´◉◞౪◟◉)。」
って、後の時代の人に覆される(笑)。
きっと今私たちが信じていることも、そうなんだろうな。
あの時代は無知だった・・・・って、言われるようなことを、
本気で真剣に、今、信じているんだろうなぁ(笑)。
そんなことを考えていると、
なんか、何かに囚われて頑なに必死にならずとも、
ゆ~るくゆ~るく、テキトーにやっていてもいいかな、って思える(^-^)。
これ、母乳育児をしているときにも思ったけれど、
「正しい」と言われる説って、時代とともに変わる。
その時代の教科書やお偉いさん方が言っていることが、
必ずしも絶対なんかじゃないんだから、
「こうしなければならない!」って必要以上に脅される必要とかって
無いんだなって思う。
とは言っても、
後世の失敗や発見がないと、今の発見も未来の発見も無いんだしね。
どれもこれも全部、必要な過程なんだろうね。
昔の自分が、今の自分のために必要だったのと同じようにね。
ではメインの、宇宙の話。
宇宙の話を、数学の「集合」の考え方を使って説明してあったよ。
ここでは、
・自分
・自分以外=宇宙
と考える。
宇宙の中の自分。
全体集合Uの中の、部分集合A
これを、数学の「集合」で考えると、
という式が出てくる。
Aの上の「―」は、否定。「~じゃないところ」っていう意味ね。
「補集合」。(なつかしい単語だね。普段、使わないもんね。こんな言葉。)
Aじゃないところ=全体からAを引いた部分。
この黄色の部分ね。
てことは、
私=Aで
宇宙=Uだったから、
私以外=宇宙-私
ってこと。
なんてことはない。
当たり前と言えば当たり前のことかもしれない。
けれど、よく考えてみると結構深いこと言っているのかも。
「私」だけに視点があるときは、「私」だけしか見えないけれど、
「私以外」に視点を向けると、宇宙全体が見えてくる。
そしてもう一つ。
「私」と「私以外」は平等であるということ。
同列の図に並んでいるということ。
同じように、等しく、重要だし、
同じように、等しく、どうでもいいかもしれない(笑)
ということ。
「私」だけを見ていると、自分の事しか考えていない状態。
自分の殻だけが存在する状態。
このまんまじゃ、何も起こらないよね。自分以外に何もないから。
他の事を実現したいと思ったとき、「私以外」にも意識を向ける必要がある。
私Aも宇宙でできているし(宇宙の中にいるし)
「私以外」に目を向けると、一度「私A」を挟んで、「宇宙U」が出てくる。
(↓ここからは、私の独自の理解。)
これ単純に式だけ変形してみると、
U(宇宙)=¯A(自分じゃない部分)+A(自分)←①
だし、
A(自分)=U(宇宙)-¯A(自分じゃない部分)←➁
宇宙を知るためU(全体を知るため、外と繋がっていくため、引き寄せを起こすため)
には、自分の事Aをよく知る必要がある。
①U(宇宙)=¯A(自分じゃない部分)+A(自分)
だし、
自分Aをよく知るためには、自分じゃない部分¯Aを知る必要がある。
➁A(自分)=U(宇宙)-¯A(自分じゃない部分)
ということを、この数学の式が表している。
心理学を、こうして、そのまま数式にぽこっと当てはめると、
なんか、
急に、パズルか巨大迷路の世界に自分自身が組み込まれたようで
不思議な感覚に襲われるけれど、
確かにほんとだ!そうなっている!そういうことか!
思った瞬間、
かちっと当てはまった瞬間、
なんか、目からうろこ!って感じになるね。
なんてシンプルなんだろう!って。
数学って、こんな風に、時々、
全体に突然10倍してみたり、マイナス1倍してみたり、
否定してみたりして、形を変形させることで、
見え方を変える事ってよくあるんだってね。
これって、数学独特の世界で、
ほんま面白いね!
これもそう。
突然0.1をかけたりしている。
なんで突然0.1が出てくるの?ってならないように(笑)、
この等比数列の式も公式化されていて、使うときは公式を使うのだろうれども、
この、後からつじつまを合わせるかのように数字を持ってくる、
っていうのが、なんとも、視点の変化に貢献しているよなぁって思う。
(↑ここまで私独自の理解。)
話は元に戻して(笑)、
「自分のことをよく知る」という話。
自分は何が好きで、何が得意で、どういう風な物事の捉え方をしやすいか、
とういう癖を持っているか。
これは、
自分の持っている「地図」を知るってことなんだって。
「土地を見ているのではない、地図を見ている」っていう言葉があるらしいんだけれども、
人間が、見ている以上、
人間であるという枠を超えない限り、
何かのフィルターを通して物事を見ているということ。
視覚を使って認識するのが得意な人、
聴覚を使って認識するのが得意な人、
触角を使って認識するのが得意な人、
とか
ああいう風に見たい、とか、こういう風に見る傾向にある、とか、
色々ある。
これが二重スリットの実験でも出てきたような、「観測者問題」
に繋がる。
・観測したら、世界に影響を与える。
・そこに居るだけで、影響を与える。
何かを見て、「お!」と思った瞬間、
もうその瞬間に、
宇宙(世界)が見える(現れる)、というわけ。
¯A(自分じゃない部分)=U(宇宙)-A(自分)
う~ん。な~んか、不思議な感覚だけど、面白いね。
【今、湧いてきた疑問(^ω^)!!】
今日の主題とは、ちょっとずれているかもしれないけれど、
全体を通してふと思ったこと。
「観測者効果」というのがある、というのは分かったけれど、
逆に、
二重スリットの実験のように、
「観測装置」を付ける前と付けた後、誰が見ても「同じ結果」が出てくる、見える、
っていうのは、どういうことなんだろう。
例えば、心理学で言う「ピグマリオン効果」っていう現象。
この子たちは天才だ!と思って教師が接すると、生徒がみんな高得点を出すようになった
という話。
これは、
「この教師がそう見たからそう見えたし、そうなった」、
ということなんだと思うんだけれども、
これと同じクラスを、
同時に別の教師が担当して、
このクラスは優秀ではない!と思って接していたら、
この教師から見たら、たとえ誰かが高得点を取っても高得点に見えないだろうし、
たまたまだとしてスルーされてしまうかもしれないし(笑)、
きっとこの教師の中では、「このクラスは優秀ではない」という世界が展開されるんだと思う。
見たいように世の中は見える、という現象。
これは、
同じものを見ても、見方によって見え方も実態も、違ってみえる
ということ。
見た瞬間に、意味づけされる。
ということ。
これが、「観測者効果」というものだと理解したんだけれども、
(あれ、「観測者効果」ってのは、そこまでは言っていないか??
二つ目の、「見た瞬間に、意味づけされる。確定される。」
ってところだけかな??)
しかし、二重スリットの実験をやったとき、
観測装置をつける前とつけた後と、出る結果は、誰が見ても、同じ結果みたいだし、
例えば、2H₂+0₂→2H₂O という化学反応を、
なんか違うフィルターで見た人が居たら、
違う現象が起こった!とかって無いよね。
あるのかな??
あるはずない、と思っている私のフィルターで見ているから無いのかな(笑)。
それが有るか無いかの確認さえも、
確認するのは人間だから、その人の「地図」で物事を見るから、
やっぱり「観測者問題」の域を超えることができないもんな(笑)。
「観測者問題」を観測している私たちも「観測者問題」とともにあるってことか(笑)。
これは、人間である以上、「観測する」という行為をする以上、
常について回る現象ってことかな?
なんか、無限ループみたい^^。
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