昨日、夫がぽろっと、
「人様の選択に、どうこう言わなくていい」と、言った。
本当に、ぽろっと。さらっと出た言葉だったみたいだけれども、
私は衝撃を受けた。
これ、真実だな、と。
人様の選択に対して、
どうこう言う必要は、無いんだ。
その人が、それを、選択したくて選択している。
考えて選択している。
いや、たとえ何も考えなかったとしても(笑)、
その場合は、考えないで選択する、ということが、その人の選択でもあるんだ。
どのように選択しても、
選択した結末は、その人が受け取るもので、
その人が体験するもの。
人様の選択に、どうこう言わなくていい。
人様が選んだ言動も、感情も、
その人のものなんだね。
心理学の本に、「人のあら探しは、最大の娯楽」と書いてあったけれど(笑)、
「娯楽」だから、つい、人様の選択について、
どうこう言いがちだし、言い始めるとどんどんエスカレートしていくものなんだね。
人の選択を人のモノだと認めて、
人の選択に対してどうこう言わなくなるってことは、
これまた私が大好きでしょっちゅう持ってくる言葉、
「問題を解決する最高の方法は、問題を問題にしないこと」
というのと繋がるね。
不完全だから、直さなきゃ、
という前提があったり、
直さなければならない、という、
何か不安事があったりすると、
人の選択をそのまま受け入れられなくて、
何か突っ込みをしたくなる。
「この人を訂正するのは私の役割」、っていう風になってくる。
「この人を直さなきゃならない」って、無いんだな。って。
最近は、思う。
好ましくないものは、スルーしていいんだ。
無視していいんだ。
触らず放っておいたら、
忘れた頃に、いつのまにかに、なんとかなっているんだ。
「嫉妬」に対する対処法と同じ。
結局は、誰も、どんな本も、みんなそう言っている気がする。
たったそれだけのことだけれども、
不安に陥る要素はあちこちに転がっていて、
すぐに元に戻って不安になるから、
こうして、定期的に、確認して、大丈夫、大丈夫、と
前に進んでは、
また、不安になって舞い戻っては、
また進み、
というのを繰り返しながら、人は変わっていくのかもしれんな。
究極なところ、
人の命もそうなのかもしれないな。
自分でも知らないし分からないけれど、人は、
生まれる前に、自分の寿命を決めて生まれてきているという。
人様の決めてきた寿命に対して、
人がどうこう言ったり、どうこうしようとしたりしても、
決めてきたものは決めてきたのだから、
自分も人も、それを、受け入れるだけなのかもしれないな。