アドラー心理学では定番の用語。
「相手の関心に関心を持つ。」
This is the famous phrase for individual pshychology.
"Interested in the interest of the partner".
このフレーズを知って、もう何年にもなるのに、
その神髄を、全く理解できていなかったということに気がついた。
Although several years have passed since I have heard this phrase,
I find that I can't recognize the core of this phrase.
「相手の関心」に関心を持つ
ということは、
「相手」自身にではなく、
「相手の関心」に関心を持つ、
ということ。
ということは、
相手が、ゲーム好きだったら、自分もそれに関心を持って、
ゲーム好きになろうぜよ!
自分、全くプロレスに興味が無いのに、
一緒にプロレスに関心を持とう!!
というような受け取り方をしていたため、
そんなの無~理~!!
一応頑張ってはみるけれどやっぱムーリー(≧w≦)
となっていた節があった。
それ、たまたま自分も関心が持てたらいいけれど、
持てない分野の時は、頑張っても無理だし、
その頑張っている様子を見て、
相手が、「ああ、関心が無いのに関心があるように努力してくれているんだな」とちょっとばかり哀れんでくれて、慈悲の念で感じるような愛なのか、
自分と同じ物に興味を持とうとしてくれている愛!!なんて深いんだ!!
というような理解の仕方・・・(笑)。
全然違ったでよ!!(・-・)
「相手の関心に関心を持つ」とは、
「相手の目で見て、相手の耳で聞き、相手の心で感じる」
自分がその立場に立って物事を見る、ということ。
「相手に関心を持つ」だと、
相手「自身」に関心があるから、
相手の行動を監視してしまうことにもなるそうな。
そうではなく、
「相手の関心に関心を持つ」。
「関心」に「関心を持つ」。
相手には、
どんな面が見えて、どんな風に聴こえて、どんな風に感じているんだろう。
そこに興味を持つ、ということ。
とてもいい例が載っていた。
人が職場の文句を言っていた時。
「相手自身」に関心があると、
その人の言動の中身に注目して、
その文句、おかしいんじゃない?と思ったり、
考え方に突っ込みを入れたくなることもあるかもしれない。
だが、
「相手の関心」に関心を持って、
「相手の目で見て相手の耳で聴いて、相手の心で感じる」と、
表面的な事柄には関係無く、
この人は、「職場環境を良くしたい、もっと心地よい状態にしたい」
というような思いの上で、文句が出ているのだということに、
聴き手であるこちらが、気がつく。
文句の基盤にある、愛を、見つけることが、できるんだね!!!
相手の立場に立つ、ということは、
相手の愛の気持ちに、気がつく、ということ!!!
表面的な目の前の状態に左右されず、
物事の本質を見に行くという行為。
これは、世紀の大発見!!ヽ(´▽`)/
アドラー心理学は、何年も掛けて、自分の人生とともに、
実感しながら学んでいく物なのかもしれないなぁ。
文字面だけでは、なかなか理解できないことも、
人生の経験と共に、少しずつ理解していく。
だから、何年学んでも、新しい発見があるんだなぁ。