3編で完結にしていたのだけれども、
自分の頭の整理のためにも、もうちょっと書いてみる。
もしかしたらこっちの方が、「学び」的には核の部分になるかも。
講演を聴くことで、
そして、講演の前にも友達からコメントをもらうことで、
私が今までやってきたアドラー心理学の、
抜けの部分、ひずみの部分、に気が付いたのよ。
私、自分の中には、「こうなったらいいな」っていう理想があるのに、
その理想を、「出してはいけない」「人に押し付けてはいけない」って思いこんでいた。
理想を実は持っているのに、持っていないフリをして、蓋をして、そのくせ、
「理想通りになって当然!放っておいても、
理想通りになるでしょう」
って、勝手に思い込んでいた(笑)。
なるわけない!!!って話。
何もしなくて理想通りになっていなくて焦る、って、
そりゃ当然な話。
「立てた目標は、悉く叶わない」というジンクスがあった私は、最近は、目標を立てないようにして、漠然とやってきた。
でも、具体的に何かをやるときは、無意識のうちにやっぱり小さな目標は立てていたのかもしれない。
「目標を立てないようにしなきゃ」ていうのは、
何かがおかしいね。
アドラー心理学の出発点ではまず、
「目標の一致」ってことをやる。
「自分の目標・理想」と、
「相手の目標・理想」が一致したとき、
初めて、協力ができる。
だから、最初に、「自分の目標・理想」を、
相手に伝えてもいいんだと。
佐藤ママは、これが、強力に、できていらっしゃるのだと感じた。
できるように、
ものすごい工夫をして来られたのだと。
自分の理想・目標に、全くブレが無いのだと。
これは違うかもしれないけれど、
なんなら、「お母さんのために、受験をしてちょうだい!」と豪語できるのではないかと思えるくらいの、
迷いの無さ。
それを、人に指摘されても揺るがない。
「これは私の理想です!!目標です!!」ってこれだけブレなくて工夫していたら、
「あれ。それなら、お母さんの夢に協力してあげようかな」という気にもなりそうだと思った。
それ以前に、「協力したくなるような」「勉強をやりたくなるような」「同じ夢を持ちたくなるような」
やり方を、持ち上げ方を、
研究し尽くしていらっしゃるのだと。
だから、ここは、毎回毎回、「目標の一致」が出来た状態だったのかもしれないなぁと思った。
目標の一致ができるような状態を最初から作る。
自分の夢を語ること、理想を語ることを、
私は恐れていたのかもしれない。
夢を持ってはいけない、理想を持ってはいけない、
語ってはいけない。
何故か?それは、相手との関係性が悪くなるのではないかという恐れ。
そう、私は、どこかで恐れていたんだ。
びくびくしていたんだ。
心理学ではこれ言っちゃだめでしょ。
これはご法度でしょ。って勝手に思い込んで。
ザ・マニュアル人間なんだ。私自身が。
オリンピック選手を育てるためには、
それ相応の準備が必要。
そのためには、根から準備しなけば間に合わない。
昆虫館の先生が、集めたい文献を集めるために、
どんな手段を取ってでも集めようと工夫する、
やりたいことのために、どうやったら叶うか、
策略を練る。
それと、同じことなのだと。
自分のやりたいは何か、
自分の理想は何か。
そういえば私は、体が弱かった時、
健康になりたいと思ったとき、
健康になる方法を探すのに必死だった。
健康になるためには、どんな努力も厭わなかった。
どんな努力も苦にならなかった。
努力を努力とも思わなかった。
色々試行錯誤して、健康になれた。夢を叶えた。
佐藤ママの方法も、一つの、「夢を叶える方法」
なのかもしれないな。同じようなことなのかもしれない。
その対象が、たまたま子どもだったから
色々言われたりするのかもしれないけれど、
その、根の所からの徹底ぶりは、他の分野の
夢を叶えようとするときと、同じなのかもしれないな、と思った。
自分の理想がどこにあるのか、
そして、それはどの程度のモノなのか、
どこまでそこに精神を集中させるか、他を捨てるか、
それは、無意識のうちに、各々がやっていることでもあるのかもしれないな。
私はまず、
自分の中に蓋をしていた理想、というものが
あった、
隠していたけれど存在していた、
ということに、気づく必要があった。
ここが出発点だ。
それを、どうするか、これからどう行動するかは、
またこれからのこと。