人が、「私はこういうのが好みではない!」って公言しているのを目にして、
自分も、その人が好みではないと言っている状態そのものをやっているかも!と思ったとき、
自分に対して直接言われたわけでもないのに、
自分もいけなかったんだ~
悪かったかも~・・って一瞬感じることがある。
自分に直接言われたわけではないけれど、
軽く攻撃されたように感じたり、
あるいは、
自分を責めてみたくなったり、
反省してみたくなったりして、
ソワソワ・・。
自分はそうしないようにしよう、って、
反面教師にしようとしたり。
もしくは、
こういう意見を持っているこの人と、
自分とは、相反するから、
ちょっと近づかないでおこう。だとか、
一瞬そう頭をよぎったりして。
それもいいけれど、
「それはあなたの好みなんだね~」
「そう感じさせられる、何かがあったんだね~」
「そう感じたんだね~」
と、これでもいいかもしれない(^-^)。
あなたは、そう感じた。
そして、この言葉は、別に、
私に対して言っている言葉ではない。
あなたは、そう感じた。
今のあなたが、紛れも無く、そうである、ということ。
このことを、認めたい。
そうすると、
相手の選択がどうであれ、
その人を認め、尊重し、変わらず友達でいることが、
できると思った(^-^)。
こうして見てみると、気づく。
ジャッジしているのは、
好き嫌いを公言した相手の方ではなく、
好き嫌いを公言した相手を好き嫌いで見た、
こちらの方だったということに。
そしてまた、
「好き嫌い」は、
自分を自分たらしめている、
世界で一つの自分の存在を作り上げている、
大切な要素なのだから、
これを無くす必要なんてなくって、
「これが自分なんだなぁ」
「こう感じるのが自分なんだなぁ」って思えてくる。
そうすると、
さっきの人のことも、
同じように、
「こう感じるのがあなたなんだね~^^」
って、
ジャッジすることなく、良い悪いで見ることなく、
上下で見ることなく、
素直に、そのままを、受け入れることが、
できる気がする(^-^)。
自分も、人も、ジャッジしないでいると、
人の話が楽に聴けるようになるね(^-^)。
聴いた瞬間は、ソワって心が動いてもいい。
それは、あ・私の中にも、ココに、「信念」があったんだなぁ
って、気づける瞬間。
「私は、こう思っているんだなぁ~。」って確認するために、
その事柄はあるのかもね。
相手を非難するためじゃなくてね(^-^)。