久々に、佐伯和也さんと「喋る権」をゲットして、ZOOMトークをさせてもらった。
そこで気付いた衝撃的なこと。
私は、自分が勉強好きだと思っていたけれど、
そうではなかったのかも。ということ。
勉強好きというよりは、「自分を向上させる」
ことが好きで、
その手段として勉強を選んでいるだけだということ。
どうりで、勉強そのものよりも、
むしろ、「勉強法の研究」の方が好きだったり😆、するわけだ。
役に立つとはなかなか思えなかったり、
資格として証明されることのない勉強は、
手を付ける気がしない。
学んで、何かを身に着けて、
自分の向上と証明と、
両方手に入るものしか手を付けないもんな。
まあ、それも、
「これをやることで、
何の役に立つのか?」と、
役に立たないことをやることは否定の前提で
育ち生きてきたからでも、あるのだけど。
勉強好きの夫とは、何か、根本的に違うと感じていたのだが、
そこが違ったのだ、と、分かった。
だから、
佐伯さんの、「勉強の面白さを子供に背中で伝えよう!」という風な言葉を、
私は実践しているつもりでいても、
いつまで経っても成果が現れなかったのかも。
私は、勉強そのものよりも、いや、そのものも面白いのだけど、
それよりも、何倍も、
「向上することの面白さ」しか伝えていなくて、
それどころか、自分でも今のところ、
全く数値として向上を感じていなかったから、
「頑張っても頑張っても向上しない。
でも、頑張る自分」←(めっちゃしんどそうやん)
しか見せていなかったよ😆。
まあ、どちらにしても、
何を見て、何を受け取るかは、
子の自由であって、
私にどうこうできるものではないし、
「向上」のために学ぶのが悪いことでも、なんでもないので、
私は私のできるやり方でやるだけのことなんだけれども、
「役に立つこと以外を学べる自由」のある、
良い時代になったということだとも思う。
例えば、うちの子は、
ピカソの本名を言えるそうなのだが、
(私も知らなかったが、めちゃくちゃ長いらしい)
そういうのが、「好きなことを学ぶ」ということなのかもな。
私は、そんなの覚えて、何の役に立つのか?
その時間、頻出英単語を覚えたほうがいい、
と思うたちだが、そうではない世界らしい。
うちの夫は、昔からインド哲学にハマっていて、
それも、私にはよく分からないのだけど、
役に立たないからやらない、ではなく、
興味があるからやってしまう、
というのが、「勉強の面白さを知っている」ということなのかな。
まぁ、何れにしても今回のトークで、
忘れかけていた根本的な所、
「ありのままのゼロの状態を100点満点にする」
というのを思い出せた。
「向上するの好き」なのは、あくまでも、「私の」価値観であるということ。
「向上しない自分」も自分が好きでいられるか、ということ。
気を抜くと、すぐに
無いもの探し、できない所探し
をする方向に向かってしまうので、
こうして定期的に、自分に
刺激を与える必要があるね。
佐伯さんは今、講座の募集をしていらっしゃるので
リンク貼り付けておきます。
私も、以前、受講しました。