佐伯和也さんのBASE5期メルマガの内容が、
今、特にものすごく深くて、
永久保存版として記録しておきたい内容なので、
忘れないように、アウトプットしておく。
【BASEメルマガ】Vol.208「抑え込んできた気持ちの満たし方」
私に響いた内容は、私の言葉にすると、
1)「子供を守りたい親」が「聴」いて、「採用」しがちなこと
と
2)「愛の形」と受け取り方について。
1)子どもの話を聴こうとしないとき。聴けないとき。
聴けるどころか、むしろ、イライラや怒りが湧くような時。
これは、子どもの話を聴こうとしないけれども、子どもを「守りたい」と言う気持ちがあるとき。
> 子どもの話を聞かずに、子どもを守ろうとした場合、誰の話を聞くのかと言えば、
>
> 「子どもに関する危険なことを話している人」
>
> です。
子どもを守ろうとするためには、
「子どもにとって、危険なこと」が目の前に必要になってしまう。
「子どもの声」よりも、「危険なことを話している人の声」を
聴いて採用したくなるんだね。
結果、子どもは「親に話を聴いてもらえない」と感じるし、
親も子の話を聴いていないし、
この親は、説教ばかりして自分の話を聴いてくれない人だと判断するし、
子どもは、親に愛されていないと感じてしまう。
「子どもを守ろうとするためには、
「子どもにとって、危険なこと」が目の前に必要になってしまう」という
この理論は、
量子力学とかでもよく出てくるし、
直近で読んだ本では、さとうみつろう氏の『悪魔とのおしゃべり』にも出てきたなぁと、私はすぐに思い浮かんだ。
「幸せになりたい」と願えば、
「幸せに「なりたい」」が叶う。
「幸せに「なりたい」と思っている」ということは、
「今は幸せではない」ということ。
「幸せに「なりたい」」と願えば願うほど、
「なりたい」自分である状態、すなわち、
「まだ幸せに「なっていない」状態」がどんどん叶う、ということ。
それと同じように、
子どもを「守りたい」と思えば思うほど、
「守る必要がある」出来事を、
採用しやすくなる、ということ。
「守りたい」のだから、「守るために必要な情報」=「危険な情報」を、
より、探してきて見つけてきて、聴き入れようとする、ということ。
不安になりたくて、より不安になる情報を採用しようとしてしまうということ。
よって、子どもの話を聴けなくなってしまうし、
子どもも、親は、話を聴いてくれないんだ、と思ってしまうということ。
2)そして、それも、ねじ曲がってはいても「愛」の形であるということ。
子どもの頃は、ストレートな形の愛しか、愛だと分からなかったかもしれないけれど、
大人になると、いろんな形の愛があることを、知る。
愛してくれる人も、親だけでなく、親以外にも、
助けてくれる人、味方をしてくれる人、愛を分かちあってくれる人はいる。
親になった私たちは、
「愛されて生きてきた」ということに気づき、
「自分の怒りや不安も、自分の中の愛ゆえんに発せられた
ものだ」ということに気づく、ことができるということ。
そこに気づくことができると、自分が表現している方法、
愛の表し方が、
愛ではあるけれども歪んでいて伝わりにくい
ということにも気づけるし、
なぜ、そんな歪んだ愛の表現方法をしているのかというと、
自分も「不安のある愛の表現方法」をされてきていたので、
愛を愛と受け取ることができないでいただけなのだ、
ということに気づく。
そうなると、もう、私たちにできることは、
親の愛を、周りの愛を、
歪んで表現されてきた愛も、
全部受け取ることだけ
だということに、気づいた。
どれだけ自分は愛されてきて、
今も、どれだけ愛されているのか、
に、気づく、ということ。
> もし、一人も自分を愛してくれる人がいなかったら、きっととっくに、死んでる。
>
> まだ生きてる、ってことは、今までの人生で、自分を支えてくれたり、関心を向けてくれたり、愛してくれている人がいたはず。
>
>
>
> そして、これから先の人生、自分を愛してくれる人は、もっともっと増えていきます。
>
> 「自分を愛してくれない人」
>
> とは離れて、
>
> 「自分を愛してくれる人」
>
> とコミュニケーションを取るようにする。
>
>
>
> つまり、
>
> 「自分が幸せを感じられるような人と一緒にいる時間を増やす」
>
> っていうことです。
> ちゃんと、子どもが自分で自分を守り、自分で自分を大切にし、自分で自分を幸せにするような、そんな生き方をしてほしいからです。
>
> 今、親と一緒に暮らしているんなら、その間に、子どもには、
>
> 「親から愛されているなぁ」
>
> って感じられるような生き方をしてほしい。
>
>
>
> そしたら、きっとその子どもは、どんなに逆境であっても乗り越えていく強さを得ることができて、自分が幸せを感じられるような生き方をしていくと思うんです。
>
> ほんで、自分が幸せだと感じている人は、人に対して、特に、自分の子どもに対して、キレることは少ないはずだ、って思っています。
>
>
>
> 怒りと向き合って、
>
> 「怒らなくてもいい生き方ができるようになる」
>
> っていうのは、すなわち、
>
> 「自分が日頃から幸せを感じられる生き方をしている」
>
> っていうことなんじゃないかな、って思います。
つまり、愛の受け取りの感度を、自分から上げていけばいいってこと。
そんな風に、自分は解釈した。
愛されている、愛されて生きてきた、
と、日々実感している人が、
簡単にキレたり、怒りを爆発させたりは、しないよね。
怒らなくてもいい生き方、とは、
「愛」があることに、気づく、生き方なのかもしれないなあ。
自分の中にある愛、自分がもらってきた愛に気づくことで、
自分が愛を表現する方法も、
怒りや不安や怖れをベースにしたものではなくなってくるのかもしれないね。