今更ながら、
自分の職業の意味を実感。
私の職業は、
トラブルが発生しないようにしたり、
法を犯す人を減らしたり、
破産する人を減らしたり、
困った人を居なくなるようにしたり、する職業ではない。
これらは、起きるときはどうしても、起こるもので、
有るときは、どうしても、有るもの。
有ることも、起こることも、
実は、本当は、
悪いことではないのかもしれないな。
それは残念だったり、悲しかったり、
するかもしれないけれど、
そこに善悪は無くて、
起こるときは起こる。
どうしても、どんなに頑張っても、
起こるときには起こるもの。
起こることにも何らかの意味がある。
起こったときの、処理。
起こったときの、始末。
起こったときの、対処。
その代行をしているのが弁護士で、
その弁護士のお手伝いをしているのが私。
当たり前と言えば当たり前なのかもしれない。
今更?って話かもな(*・ω・)ノ。
でも、
新人の頃は、
問題を、トラブルを、
「悪いこと」だと思っていた。
なんとか、なくせたらいいのにな。と思っていた。
そして、トラブルに遭遇した人に対して、
どこか、「かわいそう」、とか「不運だ」とか思いながら、
どうにか「良く」なればいいのにな、と思っていた。
でも同時に、
大きなトラブルに巻き込まれても、
大丈夫そうな人も、たくさん見てきた。
というか、みんな、大丈夫だった。
大きなトラブルを経験しても、
人は生きていけるんだ。
トラブルが起きたら、手続きや必要な処理をやるだけ。
後は、「自分のココロの持ちよう」。
心理学を学びながら、
仕事をしながら、
だんだん、そういうことが、分かってきた。
いつの頃からか、
少々の大きなトラブル案件を見ても、
殆ど心揺さぶられずに、仕事ができるようになった。
それは、冷たいわけではない。
世の中を、受け入れたということ。
もしかしたら、人を、
かわいそうに思ったり、哀れんだり
しないようになれた、ということなのかもしれない。
「どうにか、良くなればいいのにな」と思うってことは、
「今は良くない」と思っているということ。
今の状態のその人を、「良くない」「ダメ」だと思っていたということ。
ジャッジしていた、ということ。
その人が「良くない」わけじゃなくて、
その事柄が起こったというだけのこと。
人の価値自体は変わらない。
「物事に対処する」っていうやつかな。
「良くなるように、人を変える」職業ではない。
人を変えるんじゃなくて、
物事の手続きをする職業である、ということ。
人を、信じられるようになってきた、
ということなのかもしれない。
全てのことに、意味がある。
人に、
優劣も無いし、
善悪も無い。
起きたトラブルと、自分は、別物。
どんなトラブルに巻き込まれようとも、
生きていくのは自分だし、
生きていける。
それを決めるのは、結局、「自分」であるということ。
自分のココロであるということ。
人を、人が変えようとする、ということは、
おこがましくて。
人は、変わりたいと自分が思ったときに、
自分から変わるもの。
自分から変わりに行くもの。
そのための材料は、自分で取りに行くもの。
人が、どうこうさせたりしたり、するものではないということ。
また、年月を経ると、考え方が変わってくるかもしれないし、
どんな風に変わるかは今は分からないけれど、
今は、そんな風に感じるようになってきた。
役割があり、意味があり、
世の中は回っている。
こうして、私は、学ばせていただいている。
生かせていただいている限り、ずっと、周りから、
学ばせていただくのだろう。
長く仕事をしていると、
見え方も変わってくるもんなんだなぁ。
最後に、最近みつけた記事のリンク。
心屋さん経由。
「そのうちうっかり変わっているかもよ」
この言葉、気に入った!!٩( 'ω' )و
変わるのは、「うっかり」でいいo(`ω´ )o
だぁーーーれも 足りなくない。
だぁーーーれも 責めなくていい。
だぁーーーれとも 比べなくていい。
逆に、「うっかり」でないと、
人が変えようとしても、人は変わらないのかもな。
「成長」って、
許せなかったことが、許せるようになること。
受け入れられなかったことが、受け入れられるようになること。
私にとって、この職業は、
人生であり、学びの場。
この職が大好きで、
おこがましいかもしれないけれど、
自分にとっては、天職だと思っている。
よくこれだけ自分の性格にぴったりな職業に
巡り合わせていただいたものだと、
時々思う。
職場の規模も、同僚にも恵まれて、
本当にありがたい。
めったに書かないけれど、
久々の仕事ネタ。
読んでくださってありがとうございます(^-^)。