人って、人に憐れまれると、
弱くなるのかもしれないね。
それまで自分の足で立っていたのに、
人に、憐れまれたとたん、
「あ。私、かわいそうだったのかもしれない!」
と、急に自分が哀れになって、
途端に自分で立てなくなってくる。
そうなのか!自分って、
不甲斐ないんだ。
哀れなんだ、
かわいそうそうなんだ、
この境遇は、不運なんだ!
とか思い始めて、
それまで気強く立っていたのが、
グラグラしてくる。
哀れんできた人に、悪気はない。
むしろ、気遣ってくれている。
だが、実は、
かえってそれが、
自分にとっては、一番の障壁になることもある。
自分で自分を、
かわいそうなんだと思い込むことで、
どんどん、弱くなっていく。
あっけらかんと、平気でいるよう、
自分をどう持っていくか。
外野に惑わされずに、
好意だけを受け取って、
必要ない部分は削ぎ落とす。
自分は自分で、
必要なものは取ってこれるし、
助けが必要なときは、
助けを求めることができる。
だから、自分は、
かわいそうな人間ではない。
そこで揺れない強さを、
自分の中に、意識していたい。
相手は善意なんだけれども、
これが、善意の顔をした共依存の元だったりするから、
そこは、はっきりと、境界線を引いて、
自分を確立させていく。
I don't need pity.
I know I can stand myself and I can seek help if I need it.
pity made me weak.