前回の日記の続編。
実は、このとき、私の心の中にも、
ザワザワがあったから。
このとき私は、「自分の主張」を出さずに引っ込めて、
相手の受け取り方を、
「ほう、そうなんだね!」「そんな受け取られ方も、するんだな!」
と思って一旦受け止めて、
何も言わなかった。
それができた自分に対して、あっぱれだヽ(´▽`)/。
よくやった!成長した!
と思う一方、
私は、収めたわけじゃなくて、ただ単に、
何も言えなかっただけなような気もして、
その後、実は、2日くらい、モヤモヤしていた(≧w≦)!!
朝、目が覚めるたびに、はぁ~~~~。ってなってた(≧w≦)、実は(笑)。
気にしないようにしよう、気にしないようとして、
気にしないようにすればするほど気になった。
こんなにも私は、
人の評価を気にしているんだなぁ。
人に、どう思われるかが、気になるんだなぁ、と思った。
そして、2日たった今日、
そのままモヤモヤしながらも放置していたら。
ふいに、
そのモヤモヤを晴らしてくれる出来事が勝手に起こって、
モヤモヤが一気に吹き飛んだ!!!ヽ(´▽`)/
もう、びっくりよ!!(*'ω'*)
私は何も言っていないし、何もしていないのだけれども、
この後起こった、周囲の人の言動を見て、
あぁ、やっぱり、大丈夫だった。
と思った。
何もしないで勝手に全部解決した・・!!(^0^)
そして、今回気づいたこと。学んだこと。
言っても言わなくても、きっと
どっちでも大丈夫ヽ(´▽`)/ !!!ってこと。
あまりにもモヤモヤするから、
今度、この話題が出たら、
そのときは、遠慮せずに、
「それは、こう言ったんですよ。(あなたの誤解ですよ)」って、
一回は弁明しよう。って、密かに心に決めていた(笑)。
そう解釈した相手の事を、「分かりたい」と同時に、
Iメッセージで自分の事を伝えてもいいんじゃないか、と思った。
何回も弁明すると、バトルになるかもしれないけれど、
1回ぐらいは、せめて弁明した方が、こっちも気持ちが収まるよな、
とか思って。
まぁ、下手したら、その弁明についても、また誤解されて、
さらに弁明の弁明をしなければならなくなったりしたら、それはもう、
立派な主導権争いだから、
そこはすぐにひっこめた方がいいだろうけれど、
最初の1回は、弁明しても、いいじゃろ。
とか、ごにゃごにゃ、考えていたわけ(*'ω'*)。
よぅし!次の機会があったら、逃さずに、きちんと言うぞ!
とスタンバイしていた(笑)。
そしたら、物事の状況が、
私が何もしないところで勝手に変わって、
その様子を見た私は、
私の中で、この物事の捉え方が変わった。
私の中で、このことを捉えていた位置が変わった。
一瞬で。
私は、何もしていないのに。
だから、もう、弁明をする必要がなくなった。
一見したところ、外の状況は何も変わっていない。
またもや、私の中で、勝手に勃発して、
勝手に収束したドラマ(*'ω'*)。
そこで気づいた。
言うか、言わないか、って、
もしかしたら、それほど重大じゃないのかもしれないな、と。
私が言おうと、言わまいと、
どちらにしても、相手は大丈夫なんだ。
どうせ私は大切にされている存在なのだから、
愛されている存在なのだから、
少々失敗したぐらいで、
相手は逃げて行きはしない。
少々失敗したぐらいで、クビになったりはしない。
少々ヘマをしたぐらいで、
愛想をつかされるのではないか、
評価が悪くなるのではないか、
酷いヤツだと思わるんじゃないかと、
相手をみくびっていたのは、私の方だったのかもしれないな(≧w≦)。
あのとき、あそこで、
・すかさず、弁解しても、
・弁解せずに、黙っていても、
どちらにしても、大丈夫だったし、
弁明せずに黙っていた後に、機会があったら
「あのときのあれは誤解だったんですよ」って、弁明してもいいし、
どちらにしても、
全部自分の中で、自分が勝手に作り上げている世界
だということ。
言った後の結末も、
言わなかった後の結末も、
自分が体験するだけのことだから、
どっちでもいいんだと。
どっちでも大丈夫なんだと。
あとね、もう一つ。
人には役割ってものがあるじゃん。
やっぱり、私は、
「人のことを訂正したり矯正したり」てのには、
心底向いていないということ(^0^)!!を学んだ。
物事を、「「8」良い所を言って、「2」悪い所を言う」、の、
「2」の部分を言うのでさえも、
とっても苦しくて苦しくてどう言おうか、すごく迷った。
でも頑張って思い切って工夫して口に出したつもりだったのに、
「「10」悪い所を言われた」という風に冗談交じりにでも言われて、
ものすごいショックだったので(笑)、
もう私は、「2」の悪い部分には言及しない人の役割で居よう、と(笑)。
それでもええじゃろう。
これ言うの、私の役割ではないんだわ。
私が困っているところでもないし。
私が言わなくても、
ビシっとはっきり、言ってくれる役割の人は、
きちんと他に居る。
私がおどおどしながら言って、何日もうんうん唸らなくても('Д')、
平気で、さらっとビシッと言えて、平気な人も、居るんだから、
お役目は、その人に任せよう~。
私、「良いことだけを言う役割の人」で勝手に居よう~( *´艸`)。
状況は、何も変わっていなくて、
全て自分の中で起きているドラマ。
弁明をしなかったことで、
誤解されたままでは、自分への印象が下がったままなのではないか、という昨日までの不安。
それが、
弁明をしないままで、
私は何もしていないままで、
その不安はなくなった。
自分への印象が下がるのではないか、と心配になったのは、
私が私の中で勝手に作り上げた世界の中でのこと。
最初っから、高い評価も低い評価も、
そんなものは、自分の中にしか、ないものなのかもしれない。
それが腑に落ちた時、
自分が人から受ける評価が気にならなくなり、
相手の意図の方に気を巡らすことができるようになるのかもしれんなぁ。
弁明をしたとして、
それは、「相手に私の事を理解してもらうため」のものではなく、
「自分が納得するため」の行為なのかもしれない。
弁明をしたからと言って、相手が理解してくれるかどうかは分からないけれど、
自分は、「自分に正直に言えた」という事実を感じることが出来る。
むしろ、このために、弁明をするのかもしれない。
だったら、最初っから、
「自分に正直」に居ればいいだけのことなのかもしれない。
言った方が自分に正直なら、言えばいいし、
言わない方が、自分に正直なら、言わない方がいい。
相手がどう受け取るかは、
相手の自由なのだから、
そこはどうすることもできないし、
実際の所、相手がどう受け取っているかは、分からないというのもある。
相手が言葉に出していない部分もあるだろうし、
その相手の言葉を、私も誤解しているかもしれないし。
どこまで行ってもお互い誤解の重ね合いなのかもしれない(笑)。
となると、もう、お互い、相手の解釈にこだわることなく、
自分がどこで満足するか、で止めて置いたらいいのかもしれないな。
どっちが正解か?とか考えるから、
モヤモヤしたり、うにゅうにゅしたり(笑)、
一人ドラマを繰り広げるんだな(*'ω'*)。
まぁ、その一人ドラマも面白いと言えば面白いかもしれんけど(^0^)笑、
さっさと満足して切り上げてもええかもしれん。
いや~。それにしても、
ほっとした!(笑)。
明日の朝は爽やかに目覚められるぞ^^。