自己満足で勝手に楽しむ日記

楽しいことの寄せ集め。

ドロドロとした感情について-(トラウマ編6)

 

 

 

 

 

 (続き) 

 

私は、長い間、

自分の中にあるドロドロした感情が、イヤだった。

 

自分で勝手に大げさに作り上げたトラウマ(笑)から生じた感情。

ねたみとか・そねみとか・うらやましいとか、くやしいとか、うらやましいとか、くやしいとか、うらやましいとか、うらやましいとか、うらやましいとか、うらやましいとか(うるさい・笑)。

 

それは、常に常に、

人と「比較」する世界だった。

 

こんな思考を持って、こんな感情を持っている自分は、

恥ずかしいから、

醜いから、

汚いから、

 

蓋をしなきゃ、隠さなきゃ、人から見えないようにしなきゃ。

この汚いものは嘘。

私の内面はもっと、美しいモノであるはず(←大笑)

と思っていた。

 

でもそのドロドロは、蓋をすればするほど、

毛穴から(≧w≦)、(←また出た(笑))

出てきていたのだと思う(笑)。

 

なんなら、毛穴、詰まって

変な臭いを発していたかもしれない(笑)。

 

 

おそるおそる、出してみたら、

たいてい、人は、

「似たような気持ち、自分にもあるよ」と答えてくれる。

形は違えども。

 

隠すから、怖かったのであって、

出してみたら、意外に、なんでもないことだったのかもしれない。

 

 

勝手に一人で、そわそわして、

勝手に一人で、こそこそして。

堅い堅い鎧をかぶって、

自分を守ってきた。

 

 

もう充分に、守ってきた。

 

満足した。

 

そのときが、今、来たのかもしれないな。

 

全部、必要なことだった。

 

 

 

自分以外の人も、

何かを自分で作り上げて持っている人もいるだろうし、

持っていない人もいるかもしれないけれど、

 

自分で作り上げたものは、

「自分で」壊したり、作り直したり、修正したりするように、

なっているのかもしれないな。

自分で作ったものは、自分にしか壊せない。

 

それまでに、周りの人の言葉や出来事や時間や、

いろんなことの揺さぶりや刺激が必要で、

それらが統合される日は、いつ来るか分からないし、

来ないこともあるかもしれない。

 

あるかないか、来るか来ないか分からないけれど、

それが来た日、

 

人は「自分で」壊していく。

新たなモノを作り出していく。

 

 

 

ほんの先日、たまたま「白雪姫」の英文を読んで、

レビューを上げたが、 


これも、今思えば、

絶妙なタイミングの巡り合わせだったのかもしれない。

 

もう年取ったんだから、お后も、

いつまでも「世界で一番美しいのが自分」でなくても

ええやん(笑)、

って思うのは、他人だからであって(笑)、

 

執着や、コンプレックスは、

誰にでもあるものなのかもしれんな。

 

他人のそれは、

他人には意味が分からないし滑稽であったり不思議であったり

するかもしれないけれど、

 

その、他人から見れば滑稽かもしれないコンプレックスを、

私は、

こうしてネット上に上げたヽ(´▽`)/。

 

もう怖いものがなくなったかもしれん(爆)。

もう、あっけらかんと、

このことを人に話せるかもしれんな~。

毛穴から漏れ出ずる悪臭としてではなく(笑)。 

 

  

 

番外編になるけれど、

私のこの、転んでばかりのエピソード(笑)は、

新卒で就職活動するときに生きた、という体験がある。

 

何でか知らんけどたまたまこの話題を話す展開になって、

人事の人がとても良い風に買ってくれて、

たぶんこれ大きな決め手の一つにもなったのか、

その会社の採用試験は合格した。

 

こんな私のコンプレックスの塊の話、私は恥ずかしくて

よその会社訪問の時には話したことがなかったのだが、

なんでかその会社の面接の時に話す展開になったんだよね。

そして、入社後も、人事の人は、

私を紹介するときに、このエピソードを会社のHPに掲載していたり・・(≧w≦)。

私はそのとき、あまりの恥ずかしさに削除をお願いしたんだけれども、却下された(笑)。

 

今思うと、この経験、

私の宝になるな、と。

 

あの経験は、私の人生の宝になるわ。

ドロドロとした感情があったことも含め。

 

そして、みんなそうなのかもしれない。

どの体験も、どの経験も、

自分が宝を作り上げているということ。

 

人から見れば、滑稽だし、不思議だし、理解できないかもしれない形式の宝を、

 

みな、それぞれが、自分で作っている。

 

それを、恥ずかしいと思うかもしれないけれど、

 

みんな、実はやっていること。

他人の宝の途中経過は、人から見ると不思議でたまらないかもしれないけれど、

みんな、そうやって生きている。

 

それが、トラウマであったり、コンプレックスであったり、

なのかもしれないな。

自作自演のドラマ。

 

私も28年も抱えていたコンプレックスを解放した今、

自分がいかに狭い思考と偏った視点を持っていたかということに気づいて、悶絶しそうになる(笑)。

 

でもきっと、みんな、そんなもの^^。

 

だから、周りにもがいて居る人がいても、

自分のときと同じように、

それも、宝を作っている最中ってことなのかもしれんね(^-^)。

 

 

 

それにしても、

感情を言うって大事やなぁ。

 

私も今回、「くやしかったくやしかったくやしかった」ってあほほど書いたら(笑)、

 

「そんなにくやしかったんか自分」

って思って、

もうええやろ。とか思った(笑)。

 

吐ききったら、

もうええやろ、そこまでじゃないわ。とか

思えてきた(笑)。

 

 

もし、白雪姫のお后が私の茶飲み友達だったら(笑)、

そうか~そうか~そんなにくやしかったんやね~。

くやしかったんやな~。

よっぽど、くやしかったんやね~。

ずっと、永遠に、自分が世界で一番美しく居たかったんやね~。

って聴いてあげる(笑)。

 

 

そして、私は思う。

お后は、白雪姫を殺さなくても、

ずっと、永遠に、世界で一番美しく、居ることもできる。

終わりは無い。負けなんてない。

自分が美しいと思っていたら、

美しいのだから。

そして、自分でそれが分かったとき、

きっと「世界で一番」とか、そんなのは、

どうでもよくなっているんだろうなぁ。

 

「決して嘘をつかない鏡」の言葉は、

お后の深層心理。決して嘘をつかない潜在意識。

お后の見えている世界のことだと思う。

 

 

 

 

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自分が幕を引かない限り、

人生に幕は無い。

失敗もない。

負けもない。

 

 

だから、いつどこでどんな経験をしても、

間違えじゃない。

 

全部、宝だ。

 

 

 

 

 

書き切ったかな(笑)。

今度こそ、次回は、パッカン^^が起こったJRの中で読んでいた本のレビュー。

 

 

 

あ。この日記の中では「トラウマ」という少し大げさな書き方をしたけれど、

心理学的に厳密に言うと、これはおそらく「コンプレックス」のことであって、

「トラウマ」とは違うのかもしれない。

まぁ、それほど大げさに私がとらえて書いたということで(笑)。

もはや散った後には、本人にとってはどっちでもええ(^-^)。

 

(続く)

 

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