子宮委員長はるちゃんの生き方。
目が離せない(≧w≦)。
どこに衝撃を受けているかというと、
性の解放とか、
みんなはそっちの方に驚くかもしれないけれど、
私はそっち方面は実はあんまり興味が無くて(笑)、
そっちは私にとっては別にどうでもよくて(笑)、
私が興味を持っているのは、
【子育て】のこと。
子育て、丸投げ。
こっちがとても興味津々( ´艸`)。
そう。私もそんな風に感じているから。
子育ても、
子の教育も、
得意な人に丸投げして、
母親は、ニコニコして、構いたいときに構う(笑)。
それでいいんじゃない?って、
私も最近思うんだ。
母親が子育てに必死になればなるほど、
なんだか子育てって複雑になり、
「お母さんいつもキーキーしている」
っていう状態になる。
お母さんがいつもキーキーしている状態が、
子にとっても親にとっても、
ステキな状況とはとても思えないんだよね。
いっそのこと、教育係、お世話係、丸投げして、
お母さんは、
包み込むだけの役割。
ニコニコして、ありのままの子を受け止めるだけの役割、
それでもいいんじゃないかな、って。
子育てを、人に委ねれば委ねるほど、
なんだか、
子が生き生きしているようで(笑)、
私も楽で(笑)、
母親の介入なんて、
必要最低限にすればするほどいいんじゃないかって気も
しているんだよね。
自分以外の人が子と関わるとき、その関わり方は、
もちろん、アドラーとは真逆だったりするし、
自分の理想の形とは違ったりする。
でも、それでもいいって気がするんだよね。
私がアドラーやりたければやっているだけで。
子についての全責任を、
母親一人が背負うなんて、
長い人類の歴史の中で、
戦後の、私たちの親世代だけの短い時期だけなんじゃないかな?
私たちの親世代の、
核家族で、父親が仕事で不在で、母親が一人で子育てを担っていた時代って、
長い歴史の中でも特殊な時代なんじゃないかな。
その名残を、わざわざ受け継がなくてもいいって思うんだぁ。
女のすることって、
本当は、
自分のご機嫌をとってニコニコしていること。
これだけなのかもしれない、って最近思う。
これ、簡単なようで難しくて、
なんでもないようで、ものすごいパワーがあって、
全ての根底になる。基本になっている。
そんな気がする。