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自己満足で勝手に楽しむ日記

楽しいことの寄せ集め。

どこで表現するか、選択する、ということ。

自分を、「どこ」で表現するか?って、

自分が思っていた以上に、自分に大きな影響があるのかもな、と思った。

 

私、

「自分は喋るのがニガテニガテ!!」って思いこんでいたし、

私、

「人前ではピアノを弾けない!!」って思いこんでいたけれど、

 

それは、

・しゃべりの内容に、突っ込みや批判や否定をしてくる人の所でしゃべっていたり、

・演奏のミスタッチの数を、いちいち数える人や、上手い下手を評価する人の前で演奏したり、

 

するから、

「あぁ、もう二度と、人前で披露したくない!!!」って、なっていたのかもしれんな、とふと思った。

 

 

これらと違って、

 

こと文章に関しては、

これだけ私が、書くの大好き大好き!!ヽ(´▽`)/と言って書いては公開しているのは、

 

私の文章を、全面的に肯定してくれて、

読むのが楽しい!!分かりやすい!って言ってくれる人が、少数ながらでもいてくださって、

そこではどんな自分も表現して大丈夫!って思える安心感があるから。

 

 

そして、その場は、

自分が見つけて、「選んで」、

そういう人たちの前で公表しているから

だということに気づいた。

 

そういう場以外の所は、

私、自ずと切り捨ててきたかも(爆)。今振り返ってみると。

 

 

上手い下手以前に、

「どこに持って行くか」、

「どこで表現するか」、

って、とても大きいのかもしれんな、と。

 

 

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文章を書くのは、子どもの頃から大好きだったのだけれども、

最初に、私の文章のファンになってくれたのは、

小学校の時の担任の先生。

私の書く文章、書く文章、いつも楽しみにしてくださっていて、

絶賛してくださるので、ますます文章を書くのが楽しくなった。

 

それが、高校のとき。

学校の課題とは別に、個人的にお願いして、

国語の先生に小論文を見てもらっていたことがあった。

最初は普通に見てもらっていたのだけれども、あるとき、

文章の書き方ではなく、内容について、

私の意図と違う風に解釈されて、

重箱の隅つつくような批判をされたことがあった。

(テーマが戦争とか核とか、重いテーマだったんよね)

 

うら若き乙女だった私は(笑)、そんな意図で書いたんじゃないのに!!と家に帰って大泣きして(笑)、

「この先生に文章を見てもらっていたら、私は潰されてしまう!!

と思って、それからは、その先生に個人的に書いたものを持って行くことは止めた(笑)。

 

今思うと、

我ながら、どんだけ自分に自信があったんや!(笑)とも思うけれど、

あのときの自分の選択は、あっぱれだったかも(笑)、と思った。

そこで自分の自信を失くすことなく、

自分の能力の方を信じたのだから(笑)。

 

 

 

批判されながら叱られながら、なにくそ!とやった方が伸びる人と、

賞賛された方が伸びる人と、居るだろうけれど、

私は、賞賛されて伸びる方の人間なんだと思う(笑)。

 

けなされたら、ボロボロになってまう。

 

文章については、それまでに、いろんなところでたくさん賞賛を

いただいてきていたから、

一人の先生にけなされても、

「は?この先生、私の良さが分かっていない!!!」なんて

超ゴーマンな思考(笑)で振り切ったけれど、

 

ほんと、そうだと思う。

合わないところには持って行かなければいい。

合う所、喜んでもらえるところに持って行けばいい。

 

ただそれだけのことなのかもしれないなと思った。

 

 

今思うと、放課後、

個人的に文章を見てくださっていたこの先生。

とってもありがたい先生。

いい先生なのに、当時は私も幼すぎて、愛の受け取り方をあまり知らなかったかもなぁ(笑)。

この先生との出逢いは、私の人生の一つのターニングポイントとなった。

 

この経験をきっかけに、

・人は、人の文章をどのように解釈するか、分からない。

ってことを知ったし、

・自分の意図とは全然違うように解釈されることもある恐ろしさ

というのを、感じて、

このときの経験が、今後、文章の世界でご飯を食べていくような選択をするのは、止めよう、

と決断するきっかけのひとつにもなった。

’(今後どうなるかは分からないけれどね)

 

高校生の乙女が、大げさな!って話だけれども、

でもこれ、きっと真実なんよね。

 

人がどのように解釈するかは、分からない。

人は、解釈したいように解釈するし、理解したいように理解する。

 

こればっかりは、どんなに優れた文筆家でも、

どんなに完璧な論理構成で文章を展開しようとも、

受け手の受け取り方の世界の話だから、

どうすることもできない。

 

 

 

 

私は、これをきっかけに、この先生に個人的に文章を見てもらうことはなくなったけれど、

この後、小論文の全国模試で驚くような点数をいただいて、

高得点者名簿に名前を掲載していただいたりしたこともあって、

ますます自信をつけた。

文章を書くのが、ますます好きになった。

モノ書きの世界は、誤解を生む可能性があって恐ろしい世界だとは思ったけれど、

自分自体に自信を失うことはなかった。

 

だから、私は、ずっと、文章を書くのが大好きなまんまなんだ(^-^)。

 

その後、残念な受け取られ方をしたときもあったのかもしれないけれど、

それは、スパスパ勝手に切り捨ててきたのかもしれない(笑)。

 

 

モノを書くことを職業にすることはなく、ずっと趣味としてやってきたから、

この分野に関しては、自由気ままに、ノビノビとやってきた。

だから、ブログに書くのも、とても楽しいし、

書けば書くほど元気になる。

そして、

書いた文章を喜んで読んでくれて、楽しみにしてくれている

仲間たちがいるから、

ますます、書くのが楽しくなる。

 

小学校の担任の先生が、私の文章のファンであってくれたときのように、

書く文章、書く文章、いつも楽しみにしてくれている人がいて、

しかも、

それ、無理して書くものじゃなくて、

書きたくて書いていて、

ありのままの自分を表現しているもの。

 

ここは、私にとって、サイコーの居場所なんだと思う(^-^)。

 

 

 

 

誰もが、力がある存在なのだから、

持って行くところを間違えなければいい。

 

 

 

これ、何事もそうなんだと思う。

実力があるかないかよりも、

いかに、自分の良さを分かってくれる人の所に、

自分を配置するか。

自分の仲間を見つけるか。出逢うか。

 

それだけで、人は、どんどん自信をつけていくし、

伸びていく気がした。

 

 

批判しよう、直してやろう、突っ込みを入れてやろう、

という前提の人のところで、

批判してもらうのもいいけれど、

 

世の中全ての人に、分かってもらえて理解してもらえて

通じ合う

なんて不可能だから、

 

分かりたいと思ってくれる人、

好きだと思ってくれる人、

の所に自分を配置して、

 

好ましくない意見は、スルーしていいのかもね。

切り捨ててもいいのかもね。

 

 

好きなことを、「どこ」で表現するか、自分で「選択」するということ。

 

 

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